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2011年9月 2日 (金)

城攻め戦記~会津若松城~

前夜は会津の名産をたらふく喰いまくり、大満足な気分でいよいよ会津若松城に
攻撃開始です。
 
実はここだけの話、前夜は22時にすでに寝てたんですけど。
そして朝からホテルのバイキングでカレーがっついてたんですけど。
ともかくコンディションはばっちり。
 
 
今年の春に改修工事が終わり、屋根瓦をすべて葺き替えた会津若松城。
 
Trg001
 
以前(2008/7撮影)はこんな↑感じで鼠色の瓦に覆われていましたが、
今の姿は以下の通り。
 
Trg002
 
他に類を見ない“赤瓦”をまとい、幕末当時の姿に甦りました。
これは、瓦の凍害防止のために鉄を含んだ釉薬を塗って瓦を焼いた
影響で、赤く変色したそうです。
この技術は、美濃焼を参考にしたのだとか。
戊辰戦争で新政府軍と戦った会津藩主の松平容保も、生まれは
美濃国高須藩(海津市)、さらに郡上藩士も旧幕府軍としてこの地で
会津藩とともに戦ったりと、意外にも岐阜県との接点も多いようです。
 
Trg003
 
青空に映える赤瓦。塗り替えられたばかりの白漆喰もきれいでした。
城の写真を撮る時は、やはり快晴の日に限ります。真夏は大変ですが(^_^;)
 
Trg004
 
ちょっと視点を変えてみましょう。鉄門から天守にかけて。
上の天守の写真と見比べると、天守台の石垣が自然のままの石を
積み上げた野面積(のづらづみ)であるのに対し、櫓から門にかけての
石垣は、てきとうにカットした石の隙間に細かい石を詰めた打込接
(うちこみはぎ)になっています。
築城年代によって石垣の工法も変わってくるからおもしろい。。。
らしいです(^_^;) 僕にはまだまだ石垣の奥深さはわかりません。
 
戊辰戦争中、ここ会津を舞台に行なわれた戦闘において、10代半ばの
少年たちで結成された「白虎隊」の悲劇はあまりにも有名です。
天守閣内の博物館でも、この白虎隊に関する資料が多く展示されています。
 
新政府軍との戦闘に敗れて退散し、飯盛山まで逃げてきたところ、天守閣が
燃えているのを見て悲しみ、集団自決しました。
実は燃えていたのは城下の民家で、この時点では城も無事だったことが
よりいっそう悲劇を強調しています。
 
が、城へ行く前日に僕も飯盛山に行き、白虎隊が自刃したとされる場所を
見てきたのですが、
 
Trg005
 
デジカメでズームをかけても天守閣はこんなに小さいんです。
(赤い円内)
昔の人だから、僕より視力はいいと思うけど、それにしてもこの距離で
城が燃えていると思ってしまうのは、若さゆえの過ちというか、
愚直なまでの一本気というか。。。
 
僕の好きな新選組隊士の斉藤一が会津藩とともにここで戦ったことも
あり、“城攻め”と言いながら、城を守る側に肩入れして見てしまいました。
 
なので落城はできず!

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